もっと北と東を知りたくて。

ウクライナの安寧を願って、梅雨の時期に日本の北と東をめぐる旅

Day3(6月9日) 松本ー野麦峠ー白骨温泉ー高山

朝方は曇っていて雨が降りそうだったが、830出発の時点では快晴。気温19度。とても快適。まず、昨夜地図を見ていて気になった「あがたの森公園」という所を散策することにした。ここは旧制松本高校の跡にできた公園ですがすがしい。

あがたの森公園

この中に「旧制高等学校記念館」というのがあり、入って旧制高校について勉強した。男子校・寮歌・バンカラ、熊本は五高など、とざっくりとしたイメージはあったが殆ど知識はない。20-30年前まではテレビで各旧制高校のOB達が寮歌を披露するテレビ番組もあったが、もうそれも絶滅。簡単にまとめると、

1886年の高等学校令で一高(東京)、二高(仙台)、三高(京都)、四高(金沢)、五高(熊本)、山口、鹿児島(ちょっと遅れたようだが)の7校から始まったらしい。これらの高校は帝国大学(最初の10年は東京のみ、後に京都ができ、7つまで増えた)への教養課程的なものであった。ここ松本高校は、新潟との激しい誘致合戦を制して、1919年に開校。その時は、市民による1万人の提灯行列が出たらしい。そのころの授業内容を見たが、現在の高校のはるか上をいっていたようです。

と感心しながら、いよいよ今日のメイン。夢にまで見た(見ていないけど。。)野麦峠へ。少年時代、山本茂美の「ああ野麦峠」を読んで以来、日本を支えてくれた女工哀史の悲惨な道程である野麦峠は、私にとって「死ぬ前に行くべき場所」になっていた。何度、グーグルマップのストリートビューで峠の上にある「お助け小屋」の写真を見たことだろう! 今朝も道路情報を見ていたら、何と「がけ崩れのため、峠の手前までしかいけない」との情報が! 私の心も、がけ崩れのように、崩れてしまった。しかし、まあとにかく行こう!  行けば山路の日よりありだ! 標高1673m。気温13度だった。

野麦峠の前の景色と通行止めの標識

やはり通行止めだった。残念だったので、ちょっと下にある野麦峠旧街道の写真を添付。

野麦峠旧街道の入り口

ちょっと調子が狂ってしまって、どこ行こうか検討した結果、近くの白骨(しらほね)温泉の公共野天風呂へ。途中の乗鞍高原から見た、山々はまだ雪が残っていた。

雪が残った山々

そして公共野天風呂へ。入口から川沿いに降りていく。白骨温泉は白いお湯で有名。

公共野天風呂の入り口

「風呂は撮影禁止」とあったので、風呂場では撮影せず。入口まで帰り、道路を少し歩いてガードレールから男湯だけ丸見えだったので、この野天風呂の宣伝のために、写真を撮る。これはどう考えても、男風呂だけ上から見えるような構造になっている!

道路から見えた男風呂

そこから岐阜県側の高山まで降りてきて、訪れたのが「飛騨の里」という30軒の古民家が建っている公園。すべてこの地域にあった本物を移転したもので、4つは国の重要文化財になっている。ここは素晴らしい場所です。1971年に開村されたらしいけど、全く知らなかった。

飛騨の里の古民家

この中に鐘楼堂があり、「自由についてOK。音の鳴っている間に願い事をせよ」、とあったので、ウクライナの安寧に加えて沢山の私的な願い事を心の中で唱えました。

飛騨の里の鐘楼堂

今日のルート:ちょっと別の方法で作ってみました。Cの先の野麦峠の近くまで行ったけれど、作画できなかった。

https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?hl=ja&hl=ja&mid=1TIQmc_mN0NC_I8McUr-_b1Bn_jk1sq4&ll=36.198792237227494%2C137.54486607602476&z=10