Day23(6月29日)一関ー山形
755発。晴れ。気温28度。いよいよ東北にも真夏が来た。山形辺りは関東より暑い日が多く、今日はどうなりますやら。まず向かうは山形の立石寺。
途中に何か由緒ありそうな古民家がある。旧有路家住宅(きゅうありじけじゅうたく)で「封人の家(ほうじんのいえ)」とある。何の予備知識も無く入って驚いた。
「封人の家(ほうじんのいえ)」とは国境を守る役人の家という意味で、この言葉は芭蕉の「奥の細道」に出てきます。芭蕉と曽良(そら)は夕暮れ時にここ「封人の家(ほうじんのいえ)」にたどり着き、何日間かここに滞在しました。そこでできた句が、
”蚤虱(のみしらみ)馬の尿(ばり<しと)する枕もと” です。以前、尿は(しと)と発音していましたが、1996年に芭蕉の自筆本が見つかり(ばり)と読むことが判明したそうです。この句が生まれた家だったのです!
この家のすぐ近くに、また珍しい場所を発見しました。分水嶺です。それほど標高が高くない(338m)場所から、水が太平洋と日本海に分かれます。この場所のすぐそばに、JR陸羽東線(りくうひがしせん)の堺田駅があります。そんなJRの路線があることも知らなかった。
さて、貴方・貴女の分水嶺はいつ/どこでしたか? 反対の方に流れていたら別の輝かしい人生があったかもしれない! そう思い悩みませんか? 私は悩みません! 老い先短い私は、もう過去を振り返る余裕はありません。短い未来をどれだけ輝かせようかと思うようにしています! ホントかね?
さていよいよ立石寺。その前に、「山寺芭蕉記念館」へ。館内の庭に、芭蕉の木(バナナの一種)が植えてありました。弟子からもらってこの木を自宅に植えて大変気に入り、家を「芭蕉庵」と呼ぶようになり、俳号も「芭蕉」にしたそうです。
丁度、現在ここで坂田燦(さかたあきら)という熊本出身(高校の先輩?)の画家、版画家の「おくのほそ道 版画展」が行われていました。「奥の細道」の芭蕉や曽良の俳句が版画化されています。
例えば、先ほどの”蚤虱馬の尿する枕もと”がこれ。
昨日行った金色堂の”五月雨(さみだれ)の降りのこしてや光堂”がこれ。
そして、Day9の羽黒山の五重塔の”涼しさやほの三か月の羽黒山”がこれです。
こういった版画が「奥の細道」のすべてを網羅しており、60(奥の細道)+3あります。すばらしい! 本も出版されているようですから、ご興味のある人はどうぞ。
坂田燦の「おくのほそ道」版画展開幕 山形市・山寺芭蕉記念館 - YouTube
まずは本堂で「ウクライナの安寧」をお祈りしました。
ここから階段を上っていきます。奥の院まで1070段あるそうです。
奥の院にたどり着きました。かなりきつい。
立石寺と言えば、こんな風景が有名です。
30年ほど前に一度来たことがありましたが、今回も新鮮でした。と書きながら、”閑かさや(しずかさや)岩にしみ入る蝉の声”の版画の写真を撮らなかったな~~と今、気づきました。
さて、もう一つ山形と言えば何でしょう? そう「蔵王」です。「蔵王の御釜」をこの目で見てみたい! 思い起こせば多分60年ほど前、家の壁に貼ってあったカレンダーの写真が、この「御釜」でした。そのころの記憶があるとは大したもんだ(自画自賛)!多分、池の緑色が印象的だったのでしょう。
60年の願いがかなう!と興奮しながら蔵王に到着。15時前でした。頂上まで、長いロープウエイを乗り継ぎます。チケット売り場で、「御釜に行きたいんですが、頂上の駅から歩いてすぐ見れますか?」と聞くと、「頂上の駅から歩いて1時間20分かかります。これから御釜まで行くと、帰りの最終ロープウエイに乗れません!」との事。「あちゃ~~!」である。ちゃんと下調べはしましょう! という事で、夢の実現はならずでした。最初のロープウエイを下りたところにある、「100万人テラス」の風景。
吉永小百合のCMに登場しているようです。さらに乗り継いで頂上へ。頂上へのロープウエイはこんな感じ。
頂上の駅に着いたらこんな風景でした。
上の写真の正面の小高い山(地蔵山:1736m)に上って見た眺めがこれ。ガスがかかっていなくて良かった!
(今日のルート)