Day25 + 1 (25日間のまとめ)
24泊25日の車の旅が終わりました。車での「ヒヤリハット」も無く、人にも熊にも襲われることなく、アバンチュールもなく、終わってみれば平凡な自動車旅でした。
平凡は平凡なりに、以下の教訓を得ました。
- 日本には知らないところが、まだまだ沢山ある。百聞は一見に如かず。
- 車の運転では体重は減らない。(酒を控えたから1.1kg減。飲酒は7回のみ。飲酒運転は勿論ナシ)
- 暑いと車中泊は大変だろうな!(結局車中泊は1回のみ)
いくつかの数字
- 総費用:398,443円(うち車関係費用132,079円:ガソリン、駐車場、フェリー代金)50万円くらいを予想していたが、安宿作戦・できる限りの禁酒が功を奏した。
- ガソリン価格:最高値187円(山形県山形市)、最安値162円(青森県むつ市)山形県は総じて高いようだった。
- 総走行距離:5,594.2㎞
印象に残った場所・写真:なかなか絞り切れず、下の5点。
Day2(6月8日):長野県飯田市の下栗の里
Day15(6月21日):北海道中富良野町 ファーム富田のラベンダーソフトとラベンダー畑
Day16(6月22日):北海道中標津町の開陽台からの眺め
Day21(6月27日):岩手県田野畑村の北山崎からのリアス式海岸の眺め
という事で、これで本当のおしまい。バーハハーイ。
(25日間のルート)
この地図はスマホでは開けないと思います。PCで開いて下さい。「マイマップで開く」という所をクリックすると開くはずです。できなかったら、できなかったという事で。。。。
Day25(7月1日)那須高原ー川崎市麻生区
せっかく由緒ある避暑地に来ているので、5時半から外を歩いてみた。清々しい朝の散歩だったはずなのに、既に気温25度。さわやかではない。
915発。快晴。気温28度。ここで訪ねたい所は一か所だけ。藤城清治美術館のみ。6-7年前、新聞でこの美術館の存在を知って、是非訪ねてみたいと思っていて、やっと念願がかなった。
9時半開館で、私が一番乗り。この藤城さんの影絵は、皆さんもどこかで見たことがあると思います。館内撮影禁止だったので、売店の額を撮影。
小さな美術館かと思ったら、規模は中程度ながら、中身の大変濃い美術館であった。影絵が素晴らしいことは勿論だが、題材も、宮沢賢治、アンデルセン、西遊記、天地創造などいろいろあり、かつ巨大な作品になると6M X 2.3Mあった。その迫力は写真集ではわからない。そして、芸術の題材にはなり得ないだろうあの東日本大震災の被災地が、何枚もの見事な影絵になっている。心が揺さぶられ、泣きそうになった。
また、コンピューターで制御された影絵シアターがあり、すべての動き、音、色を自動で完璧に表現している。影絵劇を人力でやると、20人-30人が必要らしい。
藤城さんは1924年生まれで、現在98歳。その年齢なのに、下のような作品も今年書いている。
我々の子供時代の人気番組「ケロヨン」の作者だったとは今日知った。家に帰っても感動を持続させようと、この那須美術館に収められている作品をすべて網羅している画集を買った。
美術館から出てきたのが1050分。既に気温は32度だった。那須高原の別荘地は、かなり荒れていたし、避暑地らしからぬ暑さだったけど、この美術館のためだけに足を運ぶ価値はあります。
この後、どこか回ろうかと思ったが、もう家の近場に来ているし、行きたいところは殆ど行ったことがあったので、素直に帰ることにした。
那須ICを1130前に発ち、1400には家に着いた。これで25日間の旅は終了です。
「どんどはれ」。
旅のまとめは明日!
(今日のルート)
Day24(6月30日)山形ー喜多方ー下郷(しもごう)ー那須高原
800発。曇り。気温25度。今日は暑くなるという予報だが、8時の時点では快適。だけど1時間もすると、気温はグングン上がって来た。
まず喜多方へ。喜多方と言えばラーメンですが、こんな暑い日にラーメンはいらない。「喜多方 蔵の里」という所を訪問。
喜多方は、かつて若松城下と米沢をつなぐ街道の町、物資の集散地として栄え、今でも市内に4千あまりの蔵が点在するらしい。その貴重な蔵や古民家を集めたところが、この「蔵の里」。
まあ、たいして面白くもないが、丁度中学の旅行生が来ていた。暑いのに(31-32度)、こんな面白くもない蔵を見たってね~~ご苦労様です。でも、集団で行動をしたという思い出が大切か。。。
次に向かうため磐梯山と猪苗代湖の近くを通った。どうせなら、猪苗代湖を見下ろせるような道を通ろうと、裏磐梯から攻めて磐梯山の中腹を降りて来た。猪苗代湖がかすんで見え、磐梯山の頂上は雲で隠れていた。
当初の予定は、そのまま目的地である那須高原に向かうはずだったが、今朝「大内宿(おおうちやど)」という所を見つけた。場所は福島県南会津郡下郷町(しもごうまち)。行く途中です。写真で見ると、宿場町のセットのようなたたずまい。時代劇用のロケ地かなと思って行って見たら、「失礼しました」でした。本物でした。観光案内のキャッチコピー曰く、「江戸時代を今に残す奇跡のような町並み。情緒あふれる茅葺(かやぶき)の宿場町」という事です。
確かに、奇跡のような町並みです。馬籠、妻籠、奈良井宿と行きましたが。ここの一番規模が大きく、「時代を残して」いました。一番奥の小高い場所から見る町並みは、息をのみました。
一軒の茅葺屋根の下で、名物の「ねぎそば」を頂きました。そばを一本のねぎで食べるやつです。TVでも見たことがあります。ねぎは食べてもいいし、食べなくてもいいらしい。私は1/4ほど食べました。
ご主人に「この茅葺屋根はどれくらいの期間で拭き替えるのか? 費用はどれくらいかかるのか?」と聞くと、「まあ20年に一度くらい。費用は一千万円ほどかかる」らしい。国からいくらかの援助はあるが、大半は個人負担との事。「一度には払えないので、何回かに分けてやる。」らしい。一千万とは、それは大変!!
「ねぎそば」を食し、今日の目的地、那須高原へ。またまたグネグネ、アップダウンの道を通り、まず那須岳に一番近い頂上付近のロープウエイ乗り場まで車で登りました。山がくっきり見え、日差しはきついですが標高は高く気温は25度。
ちょっと下ると、眺めのいい展望台に到着。ここも「恋人の聖地」らしいです。
澄んだ空気とまわりの緑も相まって「あなた~~を待つの♪、テニスコ~~ト♪」的な気分になりました。さずが、御用邸のある那須の風格です。と思って振り返ると、この写真。
最初パット見た時、「なんでトイレが恋人の聖地なんだ!!!!」と、この不条理に驚愕! だけど、ちょっと考えると「恋人の聖地」にあるRestroom ということね。。。
宿の近くに降りてくるにしたがって、多くの店が廃業しており、気温も30度越えに、湿度も上がって来た。「なんだ、那須高原は涼しくて、ハイソな所なんじゃないの?」「ここも“昔の名前で出ています”じゃないか!」と思った次第。白樺湖といい、ここといい栄光の80年代よもう一度!!
日本の多くの観光地が滅んで行っています。若者はどこに行ってるんだ! 外国に金を落とすんじゃなく、日本の観光地に金を落としなさい。いや、その前に若者は旅行する余裕さえなくなったのか? こうなったら驚異的な円安になってしまった昨今、外国人客に期待するしかない! 観光地の雰囲気が少しくらい荒れても仕様がない!! 金を落としてくれ! 早く外国人を入れろ!
(今日のルート)
Day23(6月29日)一関ー山形
755発。晴れ。気温28度。いよいよ東北にも真夏が来た。山形辺りは関東より暑い日が多く、今日はどうなりますやら。まず向かうは山形の立石寺。
途中に何か由緒ありそうな古民家がある。旧有路家住宅(きゅうありじけじゅうたく)で「封人の家(ほうじんのいえ)」とある。何の予備知識も無く入って驚いた。
「封人の家(ほうじんのいえ)」とは国境を守る役人の家という意味で、この言葉は芭蕉の「奥の細道」に出てきます。芭蕉と曽良(そら)は夕暮れ時にここ「封人の家(ほうじんのいえ)」にたどり着き、何日間かここに滞在しました。そこでできた句が、
”蚤虱(のみしらみ)馬の尿(ばり<しと)する枕もと” です。以前、尿は(しと)と発音していましたが、1996年に芭蕉の自筆本が見つかり(ばり)と読むことが判明したそうです。この句が生まれた家だったのです!
この家のすぐ近くに、また珍しい場所を発見しました。分水嶺です。それほど標高が高くない(338m)場所から、水が太平洋と日本海に分かれます。この場所のすぐそばに、JR陸羽東線(りくうひがしせん)の堺田駅があります。そんなJRの路線があることも知らなかった。
さて、貴方・貴女の分水嶺はいつ/どこでしたか? 反対の方に流れていたら別の輝かしい人生があったかもしれない! そう思い悩みませんか? 私は悩みません! 老い先短い私は、もう過去を振り返る余裕はありません。短い未来をどれだけ輝かせようかと思うようにしています! ホントかね?
さていよいよ立石寺。その前に、「山寺芭蕉記念館」へ。館内の庭に、芭蕉の木(バナナの一種)が植えてありました。弟子からもらってこの木を自宅に植えて大変気に入り、家を「芭蕉庵」と呼ぶようになり、俳号も「芭蕉」にしたそうです。
丁度、現在ここで坂田燦(さかたあきら)という熊本出身(高校の先輩?)の画家、版画家の「おくのほそ道 版画展」が行われていました。「奥の細道」の芭蕉や曽良の俳句が版画化されています。
例えば、先ほどの”蚤虱馬の尿する枕もと”がこれ。
昨日行った金色堂の”五月雨(さみだれ)の降りのこしてや光堂”がこれ。
そして、Day9の羽黒山の五重塔の”涼しさやほの三か月の羽黒山”がこれです。
こういった版画が「奥の細道」のすべてを網羅しており、60(奥の細道)+3あります。すばらしい! 本も出版されているようですから、ご興味のある人はどうぞ。
坂田燦の「おくのほそ道」版画展開幕 山形市・山寺芭蕉記念館 - YouTube
まずは本堂で「ウクライナの安寧」をお祈りしました。
ここから階段を上っていきます。奥の院まで1070段あるそうです。
奥の院にたどり着きました。かなりきつい。
立石寺と言えば、こんな風景が有名です。
30年ほど前に一度来たことがありましたが、今回も新鮮でした。と書きながら、”閑かさや(しずかさや)岩にしみ入る蝉の声”の版画の写真を撮らなかったな~~と今、気づきました。
さて、もう一つ山形と言えば何でしょう? そう「蔵王」です。「蔵王の御釜」をこの目で見てみたい! 思い起こせば多分60年ほど前、家の壁に貼ってあったカレンダーの写真が、この「御釜」でした。そのころの記憶があるとは大したもんだ(自画自賛)!多分、池の緑色が印象的だったのでしょう。
60年の願いがかなう!と興奮しながら蔵王に到着。15時前でした。頂上まで、長いロープウエイを乗り継ぎます。チケット売り場で、「御釜に行きたいんですが、頂上の駅から歩いてすぐ見れますか?」と聞くと、「頂上の駅から歩いて1時間20分かかります。これから御釜まで行くと、帰りの最終ロープウエイに乗れません!」との事。「あちゃ~~!」である。ちゃんと下調べはしましょう! という事で、夢の実現はならずでした。最初のロープウエイを下りたところにある、「100万人テラス」の風景。
吉永小百合のCMに登場しているようです。さらに乗り継いで頂上へ。頂上へのロープウエイはこんな感じ。
頂上の駅に着いたらこんな風景でした。
上の写真の正面の小高い山(地蔵山:1736m)に上って見た眺めがこれ。ガスがかかっていなくて良かった!
(今日のルート)
Day22(6月28日)釜石ー遠野ー平泉ー一関
800発。曇り。気温23度。まず釜石の地形がわかるような高台(それほど高くない)に上ってみた。薬師公園という所です。
2011年3月11日の映像で見た風景だ。合掌。そこを下りて、海沿いを走って(車で)みた。
防潮堤が港を囲んでいる。防潮堤の間から海が見えた。
向こうに見えた観音様に行って見る事にしました。釜石大観音といいます。海抜120mに立つ、48.5mの観音様です。900からの開門前に着いて車で待っていました。まるで熱心な教徒です。観音様に「ウクライナの安寧」お願いしました。
そこから見える風景も、あの日の映像とダブります。
しかし、なぜここが恋人の聖地と認定され(誰が認定する?)、ここにハートマークがあるのは、年寄には違和感しかありませんでした。
釜石と言ったら、やはり「鉄」でしょう! 鉄知らずして、釜石を語ることなかれ!ということで、すぐ近くにある「鉄の歴史館」に行って、鉄の勉強をすることにしました。
だけど、火曜は定休日との事!
気を取り直して、一路、遠野へ。新しい自動車道が2007年に開通して快適に行けるようになったとのことだが、敢えて旧道を行く。山をガンガン登っていく。千人峠を越えると、2.5㎞の長くて細い仙人トンネルを通りました。前からも後ろからも車は全く来なかったので、一時停止して、記念の写真を!
遠野に着き、最初に行ったのが遠野市立博物館。
まず最初に驚いたのが、遠野の町としての規模。「いろいろな不思議な民話が伝わる遠野という町は、小さい集落がいくつかある小さく寂しい農村地帯」というのが、私が勝手に想像していた姿でした。しかし、違いました。遠野は今でこそシャッター街になってしまったが、戦前までは三陸海岸と北上川流域の内陸部の中間にあり、交通の拠点として大変発展していたらしい。
その賑わいの担い手が、駄賃付け(だちんづけ)と呼ばれていた馬で荷物を運搬する人々であった。
内陸の花巻/奥州、三陸の釜石/陸前高田などから物が腐らないように馬に積んで一晩で運んでいたらしい。そんな夜の山の中の道中、山男、山女、天狗などに会い、その話が語り継がれ昔話となりました。
次に向かったのが、近くにある「とおの物語の館」。
「遠野物語」の作者は「柳田國男(やなぎたくにお)」とすぐ出てくるでしょう。柳田國男は日本の民俗学の開拓者です。「遠野物語」の中には、遠野で語られていた河童、座敷ワラシ、天狗などが登場します。じゃあ、柳田はどのようにしてそれらの話を集めたのか? 多くの人に聞いて回ったのか? 実は、遠野出身の売れない小説家だった佐々木喜善(ささききぜん)から聞き取った多くの話を書いたのです。
次に行った「伝承館」には、佐々木喜善記念館があります。ここ遠野では、柳田國男と佐々木喜善は同じくらい尊敬されています。
記念館の中での説明が、ブラウン管TVとVHSビデオというのはちょっと悲しかった。しかし、今日、佐々木喜善という人を知った事は、私にとって大きな収穫でした。
伝承館の中の古民家の一つに「オシラサマ」の部屋が作ってあった。
私も、寄進した後、オシラサマに「ウクライナの安寧」をお願いした。
ここの近くに「かっぱの淵」というのがあり見に行く。遠野のカッパは顔が赤かったそうです。
最後に、遠野では昔話の語り部という人たちがいて、昔話をしてくれる。昔話は「むがすあったずもな」で始まり、「どんどはれ」で終わる。「どんどはれ」は「これでおしまい、めでたしめでたし」という意味。朝ドラの「どんど晴れ」をドバイで見ていたな~~と懐かしくなった。15年前か!
さて、先を急ごう! 北上川の流域にある中尊寺へ。中尊寺は850年に開山。12世紀初めに藤原清衡(ふじわらきよひら)が前九年、後三年で亡くなった命を平等に供養しようと大伽藍を建設しました。
中学の修学旅行生が来ていました。この2年半、何も楽しめなかった若者はこれから少しでも青春を挽回してほしい。ここでも、私は「ウクライナの安寧」をお祈りしました。
そして国宝金色堂。内部は撮影禁止ですが、すばらしい! 国宝です。こういったものが戦争(いや侵略で)破壊されるとしたら、絶望と怒りしかない!
ご存じのように、「奥の細道」で松尾芭蕉もここを訪れている。ここで残した句が、
「五月雨(さみだれ)の降(ふり)のこしてや光堂」。
あ~~今日は書くのが疲れた。具だくさんのチャンポンのようなブログになりました。中尊寺は力が尽きました。。。
(今日のルート)
Day21(6月27日) 八戸ー釜石
昨晩は、突然実家の熊本県美里町を震源にして震度5の地震が起き、心配したけど、問題はなかったようで、ヤレヤレ。しかし、前回は二度目の地震がさらに大きかったので、そこがちょっと心配。
705発。霧雨。気温25度。蒸し暑い。コインランドリーで洗濯して出発。今日は、誰でも知っているけど、地元の人しか殆ど行かない「リアス式海岸」を南下していくつもり。まずすぐ近くの種差海岸。
今日も13時まで、色々な独特な海岸に寄っては写真撮っていたのに、またカメラにSDカード入れ忘れていました。同じ失敗をした事が腹立たしい。最初はWEB写真を使います。この種差海岸ではジイチャン、バアチャン達がグランドゴルフをしていた。
次に向かったのが、普代村にある黒崎展望台。この辺りから完全に晴れてきて、気温もグングン高くなってきた。
上はWEB写真ですが、実際もこんな感じで見えていました。で、いよいよ自作の写真が登場。田野畑村にある北山崎展望台。ここに来て、文字通り息を飲みました。これこそ「リアス式海岸」である。晴れた天気と相まって、「すばらしい」の一言。
ここからさらに下に降りて、近づいて取った写真が空写真になっていました。沢山撮って、帰り着いたらSDカードを入れていないことを発見。気温30度を超える中、往復30分の登り降りを繰り返す気力はありませんでした。悔しいので、ちょっと望遠レンズを使ってみました。
汗をベチョベチョかきながら車に帰ると、NHK FMが丁度「青江三奈特集」をやっていて、この暑さと、写真が撮れてないショックで、車内が益々暑苦しくなり、ラジオをすぐ消しました。
さて次は同じ田野畑村にあった「鵜の巣断崖(うのす だんがい)」です。名前から想像して、大したことないかな~~と思っていたら。大したことありました。ここも素晴らしい。
そしてシメは宮古市の「浄土ヶ浜」である。その昔、ここを訪れた坊さんが「極楽浄土のようだ」と行った所から名付けられた。白くとがっている岩は流紋岩という岩だそうです。
2-3日前まで14-15度の世界にいたのに、突然30度越えはちょっときつい。かつ、二か所もカメラを持って海岸近くまで降りて、「素晴らしい景色」を撮ったのに、それが写っていなかったショックで今日は疲れ気味。青江三奈が効いたのかも。。。
(今日のルート)
Day20(6月26日) 函館ー大間ー八戸
昨晩は北海道最後の夜となり、速攻で仕事(このブログ書き)を済ませ、1800に飲み屋へ出陣。まだ早いので「どの店でも選り取り見取りだな!」と思い、事前にチェックして評価の高い居酒屋を目指した。それが。。。一件目満席、二件目満席、三軒目「カウンターに一席だけ空いてます。」でやっと入れた。もうコロナは終わったの?まだでしょ!
一人で入ると、人と話ができず(カウンターにもパネルが貼ってあった)、ただ黙々とひたすら飲むのみ。酒3種類頼んだけど、すぐ飲んでしまった。別の店も行きたいので入って40分しかたってないけど次だ。次は運よく空いていた。そこで焼酎を頼んだらいい気分になり、そこも30分。速攻で終わった。誰か飲む相手が必要だ!
今朝は800発。曇り。気温23度。930の津軽海峡フェリーで大間に向かう。大間への便は日に二便しかないので、まあまあ混んでいる。函館山は曇っていて見えない。
大間まで1時間半。青森まで3時間40分です。11時に大間着。気温22度。風があって寒いくらい。航海中、地図を眺めていたら下北半島の東側に面白そうなところを発見。その場所、仏が浦を目指す。断崖の上の道路沿いに見渡せる展望台があった。
そこからしばらく車を走らせると、仏が浦の真上に駐車場があり、そこから下って、目の前で見る事ができた。奇岩の連なりです。緑色凝灰岩の断崖が海風の浸食でこうなったらしい。
奇岩の連続でしたが、ここまで降りるのにかなりの道のり。帰りが大変だった。気温は低いのにシャツがべちゃべちゃ。
むつ市へ入ると、巨大な白いドーム型に光るものが現れた。何だ?何だ? 3年前には見なかったぞ!(2005年には出来上がっていました)
むつ市ウェルネスパークにある「しもきた克雪(こくせつ)ドーム」だった。入って見たら巨大だった。広い、広い。
調べてみると108mX108mある。これは使い勝手が良さそうだ。野球もできます。驚くことに、全面を借り上げるのに1時間2,300円だと! もうちょっと高くしろよ!
週末はむつ市に行って、ここを借り切って汗を流すというのもいいかもしれない。4時間独り占めして、1万円かからない。
さあ、今日はどこまで行こうかと考えながら地図を見ていたら。また発見。このコロナ禍で外国にはなかなか行けませんが、NYに行く代わりに、おいらせ町に行くという手があります。自由の女神が見放題です。
「日本一の自由の女神」らしいです。
お台場の自由の女神と競争してどうする!
(今日のルート)
今日の目玉は、大間から仏が浦までの道です。大きな地図だと直線にしか見えませんが、拡大を続けてください。隠れた秘密が浮かび上がります。ものすごいグネグネ、アップダウンの道でした。