もっと北と東を知りたくて。

ウクライナの安寧を願って、梅雨の時期に日本の北と東をめぐる旅

Day22(6月28日)釜石ー遠野ー平泉ー一関

800発。曇り。気温23度。まず釜石の地形がわかるような高台(それほど高くない)に上ってみた。薬師公園という所です。

薬師公園からの釜石の眺め

2011年3月11日の映像で見た風景だ。合掌。そこを下りて、海沿いを走って(車で)みた。

港を囲んでいる防潮堤

防潮堤が港を囲んでいる。防潮堤の間から海が見えた。

防潮堤の間から見えた海

向こうに見えた観音様に行って見る事にしました。釜石大観音といいます。海抜120mに立つ、48.5mの観音様です。900からの開門前に着いて車で待っていました。まるで熱心な教徒です。観音様に「ウクライナの安寧」お願いしました。

釜石大観音

そこから見える風景も、あの日の映像とダブります。

釜石大観音から見える海

しかし、なぜここが恋人の聖地と認定され(誰が認定する?)、ここにハートマークがあるのは、年寄には違和感しかありませんでした。

恋人の聖地として認定

釜石と言ったら、やはり「鉄」でしょう! 鉄知らずして、釜石を語ることなかれ!ということで、すぐ近くにある「鉄の歴史館」に行って、鉄の勉強をすることにしました。

鉄の歴史館

だけど、火曜は定休日との事! 

気を取り直して、一路、遠野へ。新しい自動車道が2007年に開通して快適に行けるようになったとのことだが、敢えて旧道を行く。山をガンガン登っていく。千人峠を越えると、2.5㎞の長くて細い仙人トンネルを通りました。前からも後ろからも車は全く来なかったので、一時停止して、記念の写真を!

仙人トンネル

遠野に着き、最初に行ったのが遠野市立博物館。

遠野市立博物館

まず最初に驚いたのが、遠野の町としての規模。「いろいろな不思議な民話が伝わる遠野という町は、小さい集落がいくつかある小さく寂しい農村地帯」というのが、私が勝手に想像していた姿でした。しかし、違いました。遠野は今でこそシャッター街になってしまったが、戦前までは三陸海岸北上川流域の内陸部の中間にあり、交通の拠点として大変発展していたらしい。

その賑わいの担い手が、駄賃付け(だちんづけ)と呼ばれていた馬で荷物を運搬する人々であった。

駄賃付け(だちんづけ)の馬の様子と説明

内陸の花巻/奥州、三陸の釜石/陸前高田などから物が腐らないように馬に積んで一晩で運んでいたらしい。そんな夜の山の中の道中、山男、山女、天狗などに会い、その話が語り継がれ昔話となりました。

次に向かったのが、近くにある「とおの物語の館」。

「とおの物語の館」と入口の展示

遠野物語」の作者は「柳田國男(やなぎたくにお)」とすぐ出てくるでしょう。柳田國男は日本の民俗学の開拓者です。「遠野物語」の中には、遠野で語られていた河童、座敷ワラシ、天狗などが登場します。じゃあ、柳田はどのようにしてそれらの話を集めたのか? 多くの人に聞いて回ったのか? 実は、遠野出身の売れない小説家だった佐々木喜善(ささききぜん)から聞き取った多くの話を書いたのです。

次に行った「伝承館」には、佐々木喜善記念館があります。ここ遠野では、柳田國男佐々木喜善は同じくらい尊敬されています。

佐々木喜善記念館と写真

記念館の中での説明が、ブラウン管TVとVHSビデオというのはちょっと悲しかった。しかし、今日、佐々木喜善という人を知った事は、私にとって大きな収穫でした。

ブラウン管テレビとVHSビデオ

伝承館の中の古民家の一つに「オシラサマ」の部屋が作ってあった。

オシラサマ | いわての文化情報大事典

私も、寄進した後、オシラサマに「ウクライナの安寧」をお願いした。

オシラサマの部屋

ここの近くに「かっぱの淵」というのがあり見に行く。遠野のカッパは顔が赤かったそうです。

かっぱの淵と説明

最後に、遠野では昔話の語り部という人たちがいて、昔話をしてくれる。昔話は「むがすあったずもな」で始まり、「どんどはれ」で終わる。「どんどはれ」は「これでおしまい、めでたしめでたし」という意味。朝ドラの「どんど晴れ」をドバイで見ていたな~~と懐かしくなった。15年前か!

さて、先を急ごう! 北上川の流域にある中尊寺へ。中尊寺は850年に開山。12世紀初めに藤原清衡(ふじわらきよひら)が前九年、後三年で亡くなった命を平等に供養しようと大伽藍を建設しました。

本堂に続く杉並木と中尊寺本堂

中学の修学旅行生が来ていました。この2年半、何も楽しめなかった若者はこれから少しでも青春を挽回してほしい。ここでも、私は「ウクライナの安寧」をお祈りしました。

そして国宝金色堂。内部は撮影禁止ですが、すばらしい! 国宝です。こういったものが戦争(いや侵略で)破壊されるとしたら、絶望と怒りしかない!

中尊寺金色堂(国宝)

ご存じのように、「奥の細道」で松尾芭蕉もここを訪れている。ここで残した句が、

「五月雨(さみだれ)の降(ふり)のこしてや光堂」。

 

あ~~今日は書くのが疲れた。具だくさんのチャンポンのようなブログになりました。中尊寺は力が尽きました。。。

(今日のルート)

Google マップ